第三十回記念 正陽会 平成27年11月8日(日)
第三十回記念 正陽会
終了しました。ありがとうございました。
平成27年11月8日(日)午後1時30分始め
能「定家 ていか」 シテ 上野雄三 「石橋 しゃっきょう」 白獅子 野村四郎 赤獅子 上野朝義 赤獅子 上野朝彦 赤獅子 上野雄介
場所 ・大槻能楽堂 —大阪市中央区上町A番7号
入場料 ・(前売券) 一般7,000円、学生3,500円 ・(当日券) 一般8,000円、学生4,000円
正陽会(しょうようかい)
『正陽会』(しょうようかい)は観世流能楽師・上野朝義、上野雄三兄弟が毎年一回開催している催しで、それぞれの課題曲に挑戦する研鑚の場です。
第30回の今年は、上野朝義が「木曽」上野雄三が「定家」二人の息子朝彦・雄介が野村四郎師と半能「石橋」に挑みます。
能「木曽」(きそ)
「木曽」のまえに
平家物語にも平清盛、源義経と共に木曽義仲が中心的に物語られています。
また、義仲は人気のある英雄であり、武者絵としてもたくさん描かれています。
木曽義仲の墓は、朝日山義仲寺(滋賀県大津市馬場)にあります。
義仲寺は江戸時代の俳人・松尾芭蕉の墓があることでも有名なお寺であります。
芭蕉は義仲の生涯に思いを寄せ、自らの墓を義仲の墓の隣に葬って欲しいと言っていました。
義仲に対する思いは強く、それは「忠義に応えた義仲に敬意を覚えたのでは」といわれています。
義仲は、富山と石川の境界にある倶利伽羅(くりから)峠で、平維盛(これもり)率いる軍と激突します。義仲軍5万に対し、平家側は10万の大軍。
半分の兵力だったのですが、義仲は地の利を生かした戦法で圧勝しました。
*能「木曽」は倶利伽羅(くりから)峠の戦いの前日のできごとです。
登場人物
シテ・・・覚明
ツレ・・・木曽義仲
ツレ・・・池田次郎
ツレ・・・木曽郎等
あらすじ
倶利伽羅(くりから)合戦前日のことです。
木曽義仲(ツレ)は越中の礪波山麓(となみさんろく)・埴生(はにゅう)に陣を構えて、平家を倶利伽羅峠(くりからとうげ)に追い落とす作戦を練っていました。
付近の茂みの中に埴生八幡宮を見つけた義仲は、参謀の覚明(シテ)に命じて戦勝祈願のため願書を奉納させます。
覚明は願書を読み上げた後、義仲から渡された矢を添えて神前に納めます。
義仲は門出の祝福に酒宴を開き、幸先を祈って覚明に舞(男舞)を舞わせます。やがて八幡の方より山鳩が旗先に飛び翔けるのを見て、八幡が願書を納受されたことを喜び、伏し拝みます。
見どころ
この曲は観世流のみが現行曲としています。
「木曽」では、シテ覚明が義仲の願書を読み上げる部分は、「安宅」の勧進帳、「正尊」の起請文とともに、観世流では三読み物として尊重されています
したがって、願書を読み上げるところが、見せ所・聞かせ所となります。
能「定家」(ていか)
「定家」のまえに
百人一首 和歌番号89
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする」
「私の命よ、絶えることなら早く絶えてほしい。このまま生きながらえていると、耐え忍んでいる私の心も弱くなってしまい、秘めている思いが人に知られてしまうことになりそうだから・・・」
という、恋の歌があります。
これを詠んだ式子内親王(しょくしないしんのう/しきしないしんのう)という女性は、後白河上皇の第3皇女で歌人でもありました。
皇女というのは、生涯を独身で過ごすものとされていました。
もちろん自由な恋愛など出来るわけもなく、忍ぶ愛に身を焦がすことになります。
そして、その恋の相手が、「百人一首」や「新古今和歌集」の選者として知られる藤原定家(ふじわらのていか)だったと言われているのです。
式子内親王は独身のまま52歳で病気のため亡くなっています。定家も、身分の違いゆえその想いを遂げられぬままに亡くなり、式子内親王の墓のある今出川千本の般舟院稜(はんしゅういんのみささぎ)に祭られました。その後、彼の墓から蔦(つた)が生えてきて、蔓(つる)はどんどん伸び、近くにあった式子内親王の墓に達すると、まるでその墓を抱きしめるように覆いつくしてしまったといいます。
(定家の墓は、上京区の相国寺の墓地に立派なものがあり、また上京区花車町の石像寺にも定家の墓があるそうです。)
実際に、テイカカズラという名前のツタがあり、名前はこの能から由来しています。
二人の恋物語は実際には年代的にずれがあり、虚構であろうといわれてます。
式子内親王もすぐれた歌人で、すばらしい歌がたくさんあります。
もっと調べてみると歴史的にも、歌人としてもおもしろい人物だと思われます。
いずれにせよ能を鑑賞する前に登場人物の歴史的背景などを知ることはおもしろいですね。
登場人物
前シテ・・・里の女
後シテ・・・式子内親王の霊
ワキ・・・旅僧
ワキツレ・・・従僧
アイ・・・都千本辺の者
「定家」の話は、式子内親王(しょくしないしんのう/しきしないしんのう)と藤原定家(ふじわらのていか)という、皇女と貴族の歌人同士の、身分の違いにありながら身を焼くほどの忍ぶ恋の物語です。
また、演目の題は「定家」ですが、主人公のシテは式子内親王となっています。定家は出てきません。
あらすじ
紅葉の季節に北国から上って来た旅の僧(ワキ・ワキツレ)が、京の都の千本(上京区)辺りで時雨(しぐれ)が降ってきたので、雨宿りをしていると、そこに里の女(前シテ)が現われ、ここは歌人藤原定家が建てた時雨の亭(ちん)だと教えます。女は定家の歌を詠み、僧を式子内親王の墓に案内します。
※時雨亭(しぐれてい)・・・定家が百人一首を選定したと伝えられている場所
女は定家と内親王の愛の物語を語り、「定家の執心は死後も葛(かずら)となって内親王の墓にまとわりついている。自分こそが式子内親王である、どうかこの苦しみから救いたまえ」と言って姿を消します。(中入り)
※前場では、作り物の墓が布地につつまれて 草に覆われて舞台の中央に立ちます。
その夜僧が読経して弔うと、内親王の霊(後シテ)が墓の中から現れ、法の力によって、墓にからまっていた葛(つる)がほどけ成仏したことを喜び、読経を感謝してそのお礼に舞を舞います。
しかし、「こうしていられるのも夜の夢の間だけなのです。」と言い、もとの墓の中に戻り、再び定家葛(ていかかずら)にまといつかれて姿を消します。
※僧が経文を唱えると、後見(こうけん)が作り物の墓の布地を取り払う。中から式子内親王があらわれる
見どころ
僧の回向で、塚から式子内親王の霊が出てきて、ゆったりとした静かな序ノ舞(じょのまい)を舞うところです。
また能では、最後は成仏して救われたり、ハッピーエンドに近い形で終わるものが多いですが,
この「定家」での内親王は、僧の供養によってもまたもとの墓に戻り、最終的には定家の執心な愛から逃れられないで終わります。
これが愛情の奥深さなのでしょうか?
後シテの面は、霊女・泥眼・痩女・増などを用います。苦悩する姿を強調しており、
この苦悩の原因は、恋に関することよりも、老い衰えた醜い姿を恥じ、さらに恋していた頃の若さと美しさに執着する自らを恥じたことによるものであるとも・・・。
式子内親王の心の葛藤をどのように表現し舞うのか楽しみです。
半能「石橋」(しゃっきょう)
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の使者である獅子が石橋に現れます。
そして咲き乱れた牡丹の花に戯れて勇壮な舞を見せ、泰平の御代(みよ)が永遠に続くようにと舞い納めると獅子の座に帰っていきます。
※一畳台に紅白の牡丹の立木を据え付けられ、高低の差と、橋掛かりまで利用して左右の広がりもある中で、白毛の獅子一頭と、赤毛の獅子三頭が舞いまくります。
この能の見所は、何といっても華やかで美々しい舞。能を知らない人でもシンプルに楽しめます。
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